2008/05/05

はい,泳げません-2-

さて,今日は少しだけ,前回紹介した書籍
「はい,泳げません」
の中身を紹介しましょう.

作者 (高橋秀実) は水面を見るとそのゆらゆらで"目がくらむ"らしい.
そして,水中では孤独を感じる.
水の音,泡の音,そして何も聞こえず,ただゆらゆらと.

私は結構,それが好きなんだが.

言い換えると
水中では完全に"無意識”で瞑想に耽ることができ心が落ち着く.

そして脳も身体も世の中の現実から解放され"新しい”何かを得ることができるのである.

水中の真理はココにあると感じる..

この本の特に面白いところは
泳げるようになるために,泳ぐとは何かを探るために
作者自身が自らいろんなところに出かけ,見て試して心と身体で感じ取ってくるところである.

水族館でさかなを見る.
古式泳法を学ぶ.
おばちゃん達から生活態度を指摘される.
男を悟らされる.

このような,水泳だけではなく実際の生活や態度
社会現象をも巻き込んだ捉え方が非常に面白い.

私の師匠はよく"水泳は人生の予行演習"という言葉を使うが (この場合は成長期にある子供に対して使っているが)
まさにそれがよく表れているのではないか.

そしてこれは
「誰でも母親のお腹の中では羊水で生活していた」
ことや
「ヒトはもともと海から進化した」
ことにも深く関連しているようにおもえる.

これは私の持論でもあるが
「泳ぐ」とは水に帰ることであり,自分自身を受け入れ,自然を受け入れ,無意識と無の神髄に迫ることである
と思う.

また,泳ぐとはただ単にクロールやバタフライと言った競泳種目を行うことではなく
どのようにして水に入るのか
そのようにして水と身体とそして心を交わらせるのか

それに対する取り組みでもあろう.

本書の中では作者がどのようにして無意識を達成しようとするか
どのようにして力を抜くか
その取り組みがつらつらと書かれているし
はっきり言うとほぼそれが全てであろう.

泳技術についてはほとんど書かれていない.
結局"泳ぐ"とはそういうことなのだ.

少々哲学的になってしまったが
私はこの本を「泳ぐ」ことに対する哲学書であろう.

ちなみに本書に出てくるインストラクター
"高橋桂"さんは
どうやら本名ではないようです.

この本のためかもしくは指導者としての偽名とおもわれます.

関連リンク
高橋秀実
りょーちの駄文と書評
リビエラスポーツクラブ
深くて長い川を渡りきった男
高橋秀実『はい、泳げません』〜高橋 桂〜


by Dr.Aqua (KK)

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